平和

私の利用者様に90代半ばの女性がいます。時々10代の頃の戦中の話をして下さいます。

「あの頃は、少しずつ食べ物が無くなっていって、米やさつまいもやらの配給が始まって、父親の実家が丹生川やったで内緒でささげや豆やらをわけてもらったりしてた。けど、そのうちにもっと少なくなっていって、山にならぼぼっていう栗みたいなのを親と拾いに行ったんや。ならぼぼは、食べれるとこはちょっとしかないんや。アクが強くて、食べると苦いで皮むいてアク抜きして、食べるまでに手がかかった。私は、7人兄弟やで親は9人分の食料を用意するのに本当に大変で本当につらいめにあった・・」と・・

10代で少しずつ食料が無くなっていくという経験は、とても不安と恐怖でいっぱいだったと思います。

終戦から77年たった今でも、不安と恐怖でいっぱいの人が世界にみえます。何もできない自分がはがゆく、ニュースを見るたびに胸が苦しくなります。早く平和が訪れる事を願う毎日です。

歯科衛生士     牛丸亜貴子